私のベストワン ★★★★★
投稿者:たけちゃん 2005-06-06
男と女の腐れ縁を描いて,これ程の映画は世界にもない 主役二人の演技も半端じゃない 黒澤や小津だけじゃない日本映画の底力

本来の人の有り様とは? ☆☆☆☆☆
投稿者:うだ 2011年12月4日
ど~なんでしょう、名作と名高い本作品、凡庸な僕にはそれ程のものとも思えませんでした。
とはいえ、最後まで固唾を飲んで観てしまったのも事実で、
多少なりとも何かに惹きつけられていたわけで、何だったんでしょうね。。。
好奇心と言うか、現代の恋愛観・人生観と違うってところ?には興味をそそられました。
その先に進めないのが僕の凡庸なところというか限界なわけで^^;
ゆき子も富岡も倫理観という点ではどっちもどっち、
お互い惹かれているのかいないのか、本人達も自覚のないままにズルズルと関係が続く。
裏切られても裏切っても悪びれることなく。。。
男女の差はあるかな。でもいつも最後にはお互いを求めている。
理性とか感情とかを超えた「相性」ってことなんだろうか?
結局は純愛ということにもなるのだろうか?全てを乗り越えて結ばれたのだから。
傍からは理解しにくい関係、しかし本人達は常に純真な気持ちで向き合っているという事実。
妻と夫のような公式の関係・義務は無いのに。
公式に当てはめると理解できない恋愛もあるということかな。
逆に言うと「どっちが本来の人間の有り様なんだろうか」と、少々心もとない気持ちにもなってくる。
(2011/11/23 視聴)
こんな男に惚れる悲しさ ☆☆☆☆☆
投稿者:鳩麦 2011年8月28日
戦後の混乱期の日本を描いた作品でしょうが、正直悲惨。
人間の儚さをまざまざと見せつけられるけど、その中で高峰秀子だけが、当時の純粋さを体現している。
喪失感と薄情と下劣さを合わせもつ男を愛する女。
愛することで生を感じようとするが、結局は死に到る病なのだ。
可愛い女。男性にとっては二度とは得ることのできない女性像。
なじるほどに 憎らしい 私の 愛しい人 ☆☆☆☆☆
投稿者:ロキュータス 2011年1月18日
(ネタバレあり)
久しぶりに観て、その見事さに、うなってしまう。
いやフランスを始め、多くの男と女の名作を作ってきた海外をも、うならせたのが納得の出来映え。
「ヤルセナキオ」こと成瀬巳喜男の、日本映画史に残る傑作と呼ばれるのは伊達ではありません。
敗戦とは、単なる勝ち負けではなく、負けたほうの世界が否定されなくなってしまうのでしょう。
その男と女の関係が成り立っていた世界がなくなってしまうと同時に、それぞれの人生も壊れてしまった。
虚ろな、抜け殻のような、それからの人生。 お互いが相手の失われたものを知っている。
自堕落で、不誠実で、いいかげんな男。 富岡(森 雅之)は最低の男だ、と思う。
反語的表現の映画が好きなぼくですが、ゆき子(高峰 秀子)にとって、そんな富岡は、憎らしいとなじり続けるほどに 愛しい男。
脇役もすばらしい。
ゆき子をなぐさみ者にして人生を狂わせた義兄・伊庭を演じる山形勲。
にごりが黒光する悪役ぶり。
好人物そのものの向井を演じる加東大介が、どこか虚ろな若妻、岡田茉莉子に執着するあまりに、人生の歯車が狂ってしまう様がせつない。
どうしようもなく惨めでむなしい人生。
そばに居てもなじりあい、傷つけあうだけ。
なのに、別れられない。
どうしようもなくお互いを求めるだけ。
それだけが生きてる実感でしょうか。
自分の人生の一部になった、相手がいなくては生きていけない。
男と女を描いた、大人の映画です。
「七人の侍」の翌年に公開された・・そのメッセージは? ☆☆☆☆☆
投稿者:オテラ 2010年10月18日
実に、男がだらしないですね。でも、そんな映画がどうして作られたのか、時代背景から考えてみました。
昭和30年、鳩山内閣の下、55年体制と呼ばれる自民党対革新勢力といった政治体制が立ち上がった時代・・・。
前年の映画に、農民を守るかっこいい侍を描いた「七人の侍」がある。いわば、日本男児ここにあり、といった景気よい時代になりかけていたのかも知れない。
朝鮮戦争が終わったばかりの時代で、東西冷戦が始まりつつある時代、ゴジラ映画がブームとなったり・・・。
しかし、この時代の雰囲気に呑み込まれようとせず、「花の命はみじかくて、つらきことのみ多かりき」という悲しい結末の映画を制作したメッセージとは?
それは、やはり戦争の犠牲者としての女性の視点なのかも知れない。経済的には男に囲われて何の不自由もない境遇を捨ててまで、富岡の説く理念や夢に従っていくゆき子。
男の言っていることはかっこよく聞こえるが、現実はゆき子の他に様々な女性とゆきずりの恋に陥っていく。
戦争中、軍部が国内には景気の良いことを言って、西欧諸国から守るためと称し、韓国や中国、フィリピンに侵攻し属国化していった過程をイメージしてしまいました。
本土に残る女性たちは、軍部の発表とは反対にどんどん苦しくなっていく状況に、ただ耐え忍ぶことしか許されず一億玉砕するまで戦えと追い込まれ・・・。
脚色の水木洋子はこの前に「ひめゆりの塔」などの脚本を書いています。二度と男に騙されてはいけない、「日本女性よ、自立せよ」と訴えたかったのではないかと思います。
最後にゆき子に死化粧をする富岡が、はじめて涙を流しますが、失ってはじめて大切な何かが分かる前に、この時代の日本に向けて、もう一度、あの戦争から学んだ大切な何かを訴えかけた作品であったのでは、と思いました。
[ネタバレ]よ~く、わかります ★★★★★
投稿者:zeta2 2010年10月5日
評価20点
脚本★★★★★ カメラ★★★★★ 演技★★★★★ 興趣★★★★★
やるせないです。全編痴話げんかです。思い当たることばかりです。
「でもあの主人公は、女をハシゴにして出世するんだけど、あんたは女だけをハシゴしてる!」
「君もせいぜい男をハシゴするがいい」
売り言葉に、買い言葉。腐れ縁とはよく言ったものです。ゆき子(高峰秀子)は真実を言い、富岡(森雅之)も言っていることは真実です。
純愛映画ということばがありますが、純愛ってなんでしょう。ゆき子の気持もよくわかり、富岡の気持ちもよくわかる。仏印での不倫関係のときだけが純愛なのでしょうか。戦地から帰ってきたあとの二人は、純愛ではなくただの腐れ縁なのでしょうか。
林芙美子の原作は読んでおりませんが、私には脚本の水木洋子という人が急に気になりだしました。
前年の成瀬・水木コンビの「山の音」。川端康成の舅が嫁を見る、ぬめっとした男の視線を意識的に排除する、構成のその緻密さに舌を巻いたばかりなので、私にはこの「浮雲」も水木洋子の腕こそが最初に称揚されるべきだとまず感じました。
「浮雲」の主人公はゆき子です。女にだらしない富岡になぜゆき子がそこまで執着するのか。成瀬は「身体の相性がよかったんじゃないか」と答えたそうですが、その陰微さを映画はけっしてあからさまにすることなく、二人の痴話げんかと一緒に並んで歩くシーンを多用することによって描きます。
水木洋子の脚本が力を入れるのは富岡です。富岡は終始ゆき子に距離を置こうとします。夢からさめなくちゃ、と言い続けながら「相性のよい」ゆき子から離れられない。う~ん、よくわかります。
富岡のネガとしての伊庭(山形勲)が強烈なキャラクターを発揮します。そのように生きることのできない富岡。まるで太宰治のようです。ですから、この映画はゆき子の物語であると同時に、「男」としての富岡を描いていると…


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