解説
偉大なる日系アメリカ人彫刻家であった故イサム・ノグチの人生を浮き彫りにしていくドキュメンタリー。彼の代表的作品の数々を紹介するとともに、関係のあった人たちへのインタビューを交えながら、その人となりに迫る。

イサム・ノグチかノグチ・イサムか? ☆☆☆☆☆
投稿者:MitakaChofu 2010年1月13日
日本が世界の誇る、あるいは逆説的に世界が日本に誇る芸術家に迫るドキュメンタリーです。ブランクージを始めとする20世紀彫刻芸術を俯瞰する、内容豊富な作品と見ました。
失った我々と、辿り着いた彼。 ☆☆☆☆☆
投稿者:ぴよさん 2007年11月27日
彼はこれほどまでに、ポピュラリティを得ることを予想していただろうか。
「形にできる全ての物は、彫刻だ」イサム・ノグチは言う。肖像彫刻、舞台芸術、モニュメントや公園、照明器具、家具など、多岐にわたる分野で、まさに形ある物を表現し尽くしたノグチ。結果、彼の作品は商業的に、または商品的になったと見られもする。その悲劇を彼は気にも留めないのだろうか 。
造形作家は、そぎ落とす方向へ向かうか、装飾的になるかだと思うが、ノグチは(師事したブランクーシの影響もあってか)最初から対象をよりシンプルに捉え、表現していたように見える。
彼の造形は原始的ともいえるシンプルな姿へ向かう。日本庭園の石庭、もしくは古代遺跡のストーンヘンジの様な。それらはプリミティブだが、凝縮の美でもある。
装飾的な表現に慣れてしまうと、省略の美を感じ取るセンスが薄まってゆくものだ。けれどそもそも自然にあるものは、ひどく複雑な構造を、わりとシンプルな姿に包んでいる。(人間自体もそうだ) だとすれば、根源的な美を表す手段が、より省略的になるのはひとつの必然にも思える。
ふと、思う。土を練り、石を削り、糸を紡いでいた人々は、それらに触れ合い一体化してゆく過程で、自然が包含する美の正体に辿り着いていたのかもしれない。土から離れた現代の我々は、それを感じ取るセンスを、知らず知らず失ってしまっているのではないか。そんなことを思って、胸が痛くなる。
その意味で言えば、ミクロとマクロの間を視点が行来し、自然石とも格闘していたノグチも、「辿り着いていた人」の一人だったのかもしれない。


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