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解説
悪辣なイメージは破壊行為と単純に結びつけられがちだ。暴力を喚起しなければ退化と見なされてしまう。ロックは常に騒々しくなければならない、と思い込むのはもちろん聴く側の勝手で、ひとりのミュージシャンに対するイメージをできることなら変えたくないと願うのもまた勝手なことだ。ならばその聴き手の勝手なイメージを破ることは演り手の勝手であるはずだ。お互い様に決まっている。うんざりすることから生まれるイギーもいい。「くだらないロックやへたくそなギターはもう聴き飽きた、と思うことがあった」とイギーは発言している。本作制作のいきさつに関してだ。それがすべてではもちろんない。サッチモやジェリー・ロール・モートンを聴き、虚しさをやりすごす日々を送るうちに出会った小説がミシェル・ウエルベックの『ある島の可能性』だった。その物語の主人公も当時のイギー同様エンターテイナーとしての自分のキャリアに疲れ新しい人生を望んでいた。イギーは大いに共感を覚えた。
物語を愛読した一年ほど後、イギーにドキュメンタリー映画『Last Words』の製作スタッフからその映画用の音楽の依頼が寄せられる。イギーの心情を知ってか知らずか。それはウエルベックが自ら自著『ある島の可能性』を映画化する様子を記録したものだった。その依頼が本作を生んだ。
マイアミの川沿いの小屋で書いたというここにある楽曲は、孤独と空虚な心情の底にある漠然とした愛情について描いているように思える。しかしそれは指標のない欲望あるいはやるせない生命力とともにある。「枯葉」は死にぞこなった外道の嘆きのようであり、ジョビンの「ハウ・インセンシティヴ」はかすむ視界の中で過去をまだらに回想している姿を想わせる。『ある島の可能性』を読んでいるときの自分の心象音楽だ、とイギーはいう。演出のない丁寧な歌と演奏。物語を演じていない。多くの先達の魂と静かに時に詰問するように、イギーは対話する。枯淡などとんでもない。人類史の解毒である。 (湯浅 学)


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